春の夢のごとく 2019 5 6

「践祚(せんそ)の春」
 鎌倉幕府の執権だった北条時宗は、
史上最強の権力者だったかもしれません。
 政治、経済、軍事のすべての権力を掌握して、
まるで地球を覆うような大帝国だったモンゴル帝国を
北九州で撃退したのです。
 しかし、北条時宗は、皇室には興味がなかったでしょう。
それは、平清盛の失敗を知っていたからでしょう。
「平家にあらずんば人にあらず」
 隆盛を極めた平家は、平清盛の死後、
1185年4月25日、悲劇的な最期で幕を閉じます。
「一ノ谷、屋島と敗北を重ねた平家は、
長門(ながと)の壇ノ浦に追い詰められ、
幼帝の安徳(あんとく)天皇は、
祖母の二位尼(にいのあま)に抱かれて入水(じゅすい)、
一門の大半は、ここで自決する」
(日本大百科全書から引用)
「最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母の二位尼(平時子)は、
安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。
 母の建礼門院(平徳子)も入水するが、
源氏方将兵に熊手に髪をかけられ引き上げられている。
 この際、三種の神器のうち神璽と神鏡は源氏軍が確保した。
宝剣は、この時失われたとする説がある」
(ウィキペディアから引用)
 安徳天皇の母は、平清盛の娘の徳子です。
二位尼(平時子)は、平清盛の正室です。
 「どこへ行くのか」と聞く安徳天皇に対して、
二位尼は、「波の下にも都がございます」と答えたという。
 平清盛は、妻と娘と孫の悲劇を知る由もなく、
時は、源氏の時代へと駆け抜けていく。
すべては、春の夢のごとく消えていく。
 さて、現代へ戻りましょう。
「平成」という余韻が残る中、
元号は、「令和」へと駆け抜けていく。
 令和という元号が進めば進むほど、
「愛子天皇」を支持する国民と、
「悠仁天皇」を支持する国民で国論は二分され、
皇室の「平和」は長く続かなかった。
皇室が平和を取り戻したのは、令和の次の元号だった。

武家社会 2019 5 3
「男性天皇(男系男子)が皇室を守った」
 天皇制の歴史は、諸説ありますが、2000年ぐらいはあるでしょう。
さて、そこまで遡るのではなく、
タイムマシンで、1000年から500年ぐらい前まで遡りましょう。
 この時代の多くは、戦乱の時代だったでしょう。
しかし、その戦乱を平定して、全国統一を達成できれば、
強大な政治力、軍事力、経済力を掌握できます。
 このような最高権力者が皇室をどう思うか。
天皇制を廃止して、自分が王朝を作るか。
これでは、中国の歴史になってしまいます。
 しかし、いくら最高権力者でも、それはできなかったでしょう。
天皇は、日本神道の中心だったからです。
日本の宗教の最高神官だったからです。
当時の人たちは、信仰心が篤かったのです。
 次に考えるのは、もし女性天皇だったら、
その女性天皇と結婚を考えるでしょう。
自分は最高権力者、妻は天皇ということになります。
これは、やがて、息子や娘が天皇ということになります。
こうなってしまっては、実質的に新しい王朝を作るようなものです。
 しかし、「天皇は男性天皇(男系男子)」という制度では、
いくら最高権力者でも、自分の娘を皇室に送り込んで、
ひたすら孫が誕生するのを待つことになります。
しかし、生まれてくる孫が男性とは限らないのです。
 そんな気の遠くなる話を独裁者は我慢できません。
独裁者の不安は、「独裁は長く続かない」という法則を知っているからです。
 だからこそ、最高権力者は、皇室を脅して、
最高の官位や官職を手に入れて、国を支配したほうが合理的だと考えるのです。
 歴史を振り返れば、皇室に経済力もなく軍事力もなかったのに対して、
時の権力者は、経済力も軍事力も掌握していたというのが、
武家社会だったでしょう。
 さて、現代に戻りましょう。
現代においては、国家権力を立法、司法、行政の三権に分けていますので、
独裁者は出現しないようになりましたが、
経済の高度な発達によって、国家を超えるような規模の企業が多数出現しています。
皇室の政治利用はなくても、「経済利用」はあり得るかもしれません。
 もちろん、事業が好調ならば「経済利用」はないかもしれませんが、
一族の事業が傾くと、皇室が金銭的な問題に巻き込まれてしまうかもしれません。
 あるいは、「宗教利用」もあり得るかもしれません。
実は、天皇は、今でも日本神道の中心であり、主宰者でもあります。
天皇は、日本神道を象徴しているのです。
 普通は、夫婦の宗教が違っても、特に問題ありませんが、
熱心な信者では、家庭内で「宗教戦争」が起こるかもしれません。
 もちろん、このような問題は、
「男性天皇」でも「女性天皇」でも起こり得る問題であり、
要するに、皇室は、結婚相手を探すのに苦労するということです。
つまり、「自由恋愛」は無理だと思います。
 さて、話がそれました。
多くの国民は、「悠仁天皇までは大丈夫だ」と考えているでしょうが、
問題は、その先です。
 国民も少子化ならば、皇室も少子化になっています。
これで、男系男子にこだわると、皇室の危機がやってくるでしょう。
 さりとて、サウジアラビア方式は取れないでしょう。
サウジアラビアでは、王子が少なくとも数十人はいるでしょう。
「一夫多妻制」のイスラム国家だからこそ、そうなっているのです。
 誰もが「天皇制は、少なくても50年以上は大丈夫だ」と思っているかもしれませんが、
天皇制の歴史が2000年だとすると、50年は瞬間的に過ぎてしまうでしょう。






































































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